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ゆ〜たん音楽堂店主 つぶやき ささやき Vol.12

Vol.12 くちびるに歌を

この本を読みながら、熱いものが何度か胸にこみ上げてきた。僕自身の中学校で合唱に打ち込んでいた頃にあまりにも似ていたからだ。もちろん場面設定や個々の状況には違いがある。が、そこに一貫して流れる独特の「空気の流れ」のようなものは、時代や場所を超えて似通っていることがわかる。

 僕の「合唱生活」は、ひとりの野球少年がスライディング練習中、足首を骨折したところからスタートする。場所は故郷・鹿児島の県立球場。今でもあの骨が折れた鈍い音と白い雲がプカプカ浮かぶ空の風景はしっかりと覚えている。おかげで僕は中学三年のシーズン、野球をすることができずに、ただ単に声がデカイという理由だけで合唱に勤しむことなる。

 僕が在籍した合唱部は、この小説と同じく男子生徒がほとんど素人集団で、あちこちからかき集められたメンバーで埋められていた。もちろんやる気なぞゼロ。練習もサボり、参加したとしてもただ口を開けているだけ。合唱なんて「女子がチャラチャラやるもの」と決めてかかっていたのだ。このあたりも『くちびるに歌を』ととってもよく似ている。これじゃ、コンクール出場自体も危うい。

 でも、転機は訪れた。顧問の名物教師M先生が「あなたたち、やる気がないなら私も考えがあります。解散しましょう」それからが大変だ。女子部員は「あんたたち男子が悪いのよ」とワーワー泣き出すは、騒ぎ出すは。そこで男子部員みんなで、ホントのところどうする?…と話し合った。するとびっくり、みんな「続けたい」というのだった。いろいろ聞くとどうもみんな、わずかの練習で合唱の魅力というか魔力にとりつかれてしまったのだった。もちろん、それに驚いてしまった僕自身も野球の合間の暇つぶしだった合唱の魅力にすっかり参っていたのだ。

 詳細は省くが(小説になりそうなくらいいろいろあった)、なんと僕たち超素人男声部員を抱えた合唱部はNHK学校音楽コンクールの県大会で見事一位に輝いたのだった。これには先生をはじめ、全員が腰を抜かすくらい驚いた。今、思い返してみても不思議な感覚で、「努力は実る」なんてこと誰も考えていなかっはずだ。その時思ったのはただひとつ、「生きてると、こんなこともあるんだ」。

 最近、合唱は部活動の双璧ブラスバンドにずいぶん押されていた。でも、Nコンでアーティストとコラボするようになって、次第にその存在感も増してきたような気がする。『くちびるに歌を』は数年前にブレイクしたアンジェラ・アキの「手紙」を背景に五島列島の中学生たちが繰り広げる青春の日々を描いた物語だ。男子と女子の葛藤あり、音楽に目覚める揺れる男心あり、それを見守る家族との絆あり、そして「恋」もあり。本当に素敵なストーリーだ。噂によると作家の中田永一さんは、実は別の有名作家の「ペンネーム」らしい。それが誰なのは知る由もないが、この本を閉じなから、なぜか直接会って「ありがとう」って言いたくなった。
  • くちびるに歌を 中田 永一 著
    小学館
    2011年11月発売
    ISBN 4093863172
    定価 本体1,500円+税

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イラスト:村越陽菜(むらこしはるな)