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ゆ〜たん音楽堂店主 つぶやき ささやき Vol.6

Vol.6 近世箏曲の祖 八橋検校 十三の謎

僕は大学時代、「哲学科」という極めて不経済でツブシの利かない学科に在籍していました。そこにドイツの哲学者ハイデッガーがご専門の加藤泰義という先生がいらっしゃいました。先生のゼミでは、今ではもうほとんど記憶が薄れてしまった『存在と時間』などという難解極まりない本の原書購読などをやっていたのですが、時折、先生がふっと宙を見上げてこう言われることがありました。

「君たち、八橋検校って知ってる? 僕はお箏の稽古をしているんだけど、とてもいいもんだよ。時間が‘うつろっていく’あの感覚がとてもいい」

きっと僕たちは「へっ?」という顔をしていたと思うのですが、なんだか僕の脳裏には、あの当時から「やつはし・けんぎょう」という名前とその響きがずっとこびりついてしまったのでした。

八橋検校といえば「六段」。これは小中学生でも知っています。でも、その人生についてはこれまでほとんど知られていませんでした。例えば、京都の銘菓「八つ橋」が八橋検校の名前に由来する、なんてことは意外と知られていないことかもしれません。そういえば「八つ橋」って筝の形をしていますよね。

ことさらさように、八つ橋、いえ、八橋検校には不可思議な謎がまだまだ隠されているのです。《カミさんはいたのか?》《なんで三味線の名手だったのに筝に乗りかえたのか?》《死に際はどこで何をしていたのか?》こんなほとんどミステリーとも思えるような謎を、近年、日本伝統音楽の優れた指南書を書き続けている釣谷真弓さん(ご本人も著名な筝演奏家です)がみごとな筆致で解き明かし、めくるめく迷宮へと導いてくれます。

僕たちにとって、日ごろ、邦楽の作曲家・演奏家というとクラシックの作曲家に比べてなじみのある存在とは決して言えません。でも、いろんなチャンスを作って作品に接したり、またその「人となり」を知ることによって、僕たちの日本の伝統音楽に対する愛着は飛躍的に大きくなるはずです。

僕も最近ようやく、邦楽のよさが身にしみてくるようになりました。加藤先生が宙を見て言われた、あの心境にはまだまだ遠く及びませんが、このなんとも言えないジュワ〜っとくる感覚を大切に育てたいと考える、今日このごろなのでした。

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イラスト:村越陽菜(むらこしはるな)