岡野貞一特集
岡野貞一と音楽の出合い
わらべ館 平緒佐和
私たちに愛唱されている「故郷(ふるさと)」を作曲した岡野貞一は、明治11年、現在の鳥取市古市(ふるいち)に生まれました。岡野は文部省唱歌の編纂委員として『尋常小学唱歌』の編集に携わり、「故郷」「春が来た」「紅葉(もみじ)」など多くの唱歌を作曲しています。これらの唱歌は、誕生してから約100年経った今もなお、教科書に掲載され歌い継がれています。また、唱歌「故郷」の美しいメロディーは日本だけでなく、海外にも広がっています。英語、ドイツ語、中国語などに訳され、国境を越えて様々な言語で歌われているのです。
岡野が音楽と出合ったのは、明治21年、10歳の時に鳥取市西町に転居してきてからのことです。8歳年上の姉・寿美(としみ)について通った教会で、讃美歌や永井幸次(後の大阪音楽大学の創立者)の弾くオルガンの音色に触れ、音楽に興味を持つようになったのです。岡野はその後、14歳の時に洗礼を受けました。熱心なクリスチャンで、後年は40年余りにわたって、本郷中央教会(東京)で礼拝のオルガン演奏、聖歌隊の指導にあたっています。
岡野が音楽と出合った西町に、岡野らの遺品をはじめとした資料を収集・展示しているわらべ館があります。遺品の一つに、昭和16 年11 月8 日、姉の夫 小野田 元(おのだ はじめ)が亡くなり、その葬儀後に岡野が姉に宛てて書いた手紙があります。「後に残った家族の監督指導はパゝさんに代ってなさる責任が出來たのですから決して気を落とさないでお孫さん達の成長を楽しみに気永がに御丈夫におすごしになる様(中略)お願ひ致します」と気落ちしている姉を気遣い、励ました内容で、岡野の優しさが表れています。また音楽学校進学にあたり、父親代わりとなって支援してくれた義兄のことを"パパさん"と呼ぶなど、岡野も故人を慕っていた様子がうかがえます。親しみやすく優しいメロディーは、岡野の優しい性格から生み出されたものかもしれません。
わらべ館ホームページ http://www.warabe.or.jp/
岡野貞一(おかの・ていいち)(1878-1941)
作曲家。鳥取県鳥取市に生まれる。1896年、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に入学。後に東京音楽学校教授となり、音楽指導者の育成にあたる一方、 文部省唱歌の編集、作曲委員として多くの唱歌を作曲するなど、 日本の音楽教育の発展に多大な功績を残した。
敬虔なクリスチャンでもあり、本郷中央教会(東京)のオルガニストでもあった。作品には「ふるさと」「春が来た」「春の小川」「おぼろ月夜」「もみじ」などがある。
No. | 曲 名 | 作 詩 | |
1 | 朧月夜<文部省唱歌> | 高野辰之 | |
♪菜の花畠に 入日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし | |||
2 | 児島高徳<文部省唱歌> | ||
♪船坂山や杉坂と 御あと慕いて院の庄 | |||
3 | 水師営の会見<文部省唱歌> | 佐佐木信綱 | |
♪旅順開城約成りて 敵の将軍ステッセル | |||
4 | 春が来た<文部省唱歌> | 高野辰之 | |
♪春が来た 春が来た どこに来た | |||
5 | 春の小川<文部省唱歌> | 高野辰之 | |
♪春の小川は さらさらいくよ | |||
6 | 日のまる<文部省唱歌> | 高野辰之 | |
♪しろじに あかく 日のまる そめて | |||
7 | 故郷 | 高野辰之 | |
♪兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 | |||
8 | 紅葉<文部省唱歌> | 高野辰之 | |
♪秋の夕日に照る山紅葉 濃いも薄いも数ある中に |
・「楽譜+シンセ音源 ピアノ伴奏のみ」の音源は、メロディーなしの伴奏だけの音源です。
・「合唱:男声四部」は、ダークダックスによる編成で、音源は楽譜全体(メロディー+伴奏)をシンセサイザーで忠実に再現した音源です。
・「合唱:女声三部」は、「童謡・唱歌コーラスワールド特集 第1弾」によるものです。