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やっぱり音楽は素敵だ! クラシックよもやま話 a la Capriccio Vol.4

Vol.4 (CD情報)オーボエ四重奏曲集〜モーツァルト、ボクサ、バウムガルテン、カンナビヒ (古典派時代のオーボエによる)

今年(2016年)になって何人もの著名な音楽家が彼岸へと旅立ってしまいました。その中で、私個人にとっては、オーボエ奏者、本間正史さんの訃報がなんとも残念でなりません(2月16日、享年68歳)。

本間さんは、東京都交響楽団の首席奏者として数々の名演を支えてきた一方で、古楽器の名手という「もう一つの顔」を持っていました。今回は本間さんを偲んで、古楽について書いてみます。

古楽器というのは、バロックや古典派時代の作曲家が生きていた当時の楽器(あるいはそのレプリカ)のこと。手垢にまみれた演奏習慣を見直し、作曲家が思い描いた音楽を再現しよう(近づこう)という流儀が20世紀後半に起こり、往時の楽器と演奏法の研究・実践が大きく進んだのです(それを牽引した一人が、やはり今年になって亡くなったN.アーノンクール氏)。同じ音符の書き方でも、時代によって読み方が違ったりするというのですから、驚きです(ちょうど歴史的仮名遣いと現代日本語のように)。

管楽器の例が解り易いのですが、音穴が開いただけだった古い時代の楽器を「未完成のもの」とし、時代とともにキーが増えて「進化・発展」した、と捉える歴史観が、かつては一般的でした。しかし、古楽の立場は違います。モーツァルトやベートーヴェンほどの作曲家は、当時の楽器の性能を熟知していて、その性能を限界まで使った表現をしていたはず。時代が下り、「性能が向上した」現代楽器では、その限界が易々と乗り越えられてしまうために、作曲家が思い描いた「切実さ」の表現が、却って難しくなってしまうのだ、と。その切実さのリアリティーを復権・再発見するためには古楽の流儀が大変有効なのだというのです。

古楽奏法の特徴を、ピッチ(現代よりも半音程度低い)とか、ヴィブラートの不使用といった「外見的」な違いでしか捉えていなかった自分に、このような古楽アプローチの本質を教えてくれたのが、本間さんのオーボエでした。

本間さんの代表作の一つ、モーツァルトのオーボエ四重奏曲が収められたCDをご紹介します。これは、私がコロムビア在職中に音楽編集担当として制作に関わったものですが、この演奏に接したときの衝撃は忘れられません。コントロールが難しい古典派時代の2キーのオーボエを、瑞々しくも軽やかで自在に吹きこなし、その嬉々とした愉悦感たるや「これこそ、モーツァルト!」と感じさせてくれます。それまで、綺麗にまとまった「お行儀のよい」モーツァルト演奏にどこかしっくり来なかった私は、「もっと自由でいいんだ」と開眼したのでした。

かつては、古楽(ピリオド)と現代(モダン)が対立概念だった時期もありましたが、21世紀の現在、古楽の実践成果はすべての音楽家共有の財産。現代楽器を使いながら古楽のエッセンスを違和感なく演奏・解釈に取り入れる例は珍しくなく、私たちは耳なじみの名曲からまた新しい魅力を味わうことができます。古楽の魅力の伝道師であった本間さんに感謝し、ご冥福をお祈りしたいと思います。

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イラスト:村越陽菜(むらこしはるな)