中村八大特集
プロフィール
日本が世界に誇るジャズピアニスト・作曲家で、その華麗なテクニックとフィーリングにより国際的にも一流の評価を得て、遺した楽曲と共に今日でも広く親しまれている。 1931年1月20日、実父の赴任先、中国・青島に生れる。小学4年生の時、上野音楽児童学園に入学、福井直俊氏、高田真一氏、ダカール・ヘルス氏に師事、後に早稲田大学に進学し、在学中にジャズピアニストとしてデビュー、一躍天才児として注目を浴びる。我国ジャズ界の第一期黄金時代を築いたスタープレーヤーの一人として、ビッグフォー、シックスジョーズ等で活躍した。
No |
曲名 |
作詞 |
作曲 |
♪歌い出し |
発表年 |
1 |
明日があるさ |
青島 幸男 |
中村 八大 |
♪いつもの駅で いつも違う セーラー服の お下げ髪 |
昭和30年/1963年 |
2 |
生きるものの歌 |
永 六輔 |
中村 八大 |
♪貴方が この世に生まれ 貴方が この世を去る |
昭和49年/1974年 |
3 |
上を向いて歩こう |
永 六輔 |
中村 八大 |
♪上を向いて 歩こう 涙が こぼれないように 思い出す |
昭和36年/1961年 |
4 |
おさななじみ |
永 六輔 |
中村 八大 |
♪おさななじみの 想い出は 青いレモンの 味がする |
昭和38年/1963年 |
5 |
こんにちは赤ちゃん |
永 六輔 |
中村 八大 |
♪こんにちは赤ちゃん あなたの笑顔 こんにちは赤ちゃん |
昭和38年/1963年 |
6 |
世界の国からこんにちは |
島田 陽子 |
中村 八大 |
♪こんにちは こんにちは 西のくにから |
昭和42年/1967年 |
7 |
遠くへ行きたい |
永 六輔 |
中村 八大 |
♪知らない街を 歩いてみたい どこか遠くへ 行きたい |
昭和37年/1962年 |
8 |
涙をこえて |
かぜ 耕士 |
中村 八大 |
♪心の中で あしたがあかるくひかる かげりを知らない |
昭和44年/1969年 |
9 |
ヤッポン(「ステージ101」テーマ・ソング) |
井上 頌一 |
中村 八大 |
♪はずむ心 光あふれ はるかかなたへ 夢を乗せた船を引いて |
昭和45年/1970年 |
10 |
夢で逢いましょう |
永 六輔 |
中村 八大 |
♪夢であいましょう 夢であいましょう 夜があなたを抱きしめ |
昭和36年/1961年 |
11 |
若い旅 |
永 六輔 |
中村 八大 |
♪君とあるこう 手と手をつなごう 若い旅 |
昭和46年/1971年 |
1958年 |
村八大モダントリオを結成、ピアノを中心とした演奏活動を続ける。一方で、足かけ6年、音楽バラエティー番組NHK『夢で逢いましょう』では音楽を担当し、作詞の永六輔氏とのコンビによりレコード大賞受賞曲の「黒い花びら」「こんにちは赤ちゃん」更に「上を向いて歩こう」(米国ゴールデンレコード受賞)「遠くへ行きたい」「芽生えてそして」「帰ろかな」「幼なじみ」等々数多くのヒットソングを生みだし、同時に数多くのタレントを世に送り出した。 |
1966年 |
ブラジルのリオデジャネイロで開催された『第一回国際ポピュラー音楽祭』には日本代表として参加、「私だけのあなた」で最優秀管弦楽編曲賞と特別賞を受賞し、翌年以降は同音楽祭の審査員として招待される。又国内においては『ネムポピュラー音楽祭』で第一回、第二回とグランプリを連続して受賞し、名実ともに日本を代表する音楽家として活躍した。 |
1982年 |
米国BMIより「SUKIYAKI」の米国での功績を評価され、二度目のヒット賞を受賞。 |
1984年 |
米国、『第一回ロサンゼルス世界音楽祭』にゲスト出演。 |
1987年 |
オーストラリア、シンガポールで海外公演。米国BMIより「SUKIYAKI」の米国内テレビ・ラジオ放送回数200万回突破賞を受賞。 |
1988年 |
中村八大カルテット、シンガポールで海外公演。6+8コンサートを、インドネシア、マレーシア、米国・サンフランシスコで、それぞれ開催。 |
1989年 |
6+8コンサート、グァムで海外公演。6+8コンサート国内23ヶ所で公演。 |
1990年 |
6+8コンサート、台湾(台北・高雄)で海外公演。6+8コンサート国内15ヶ所で公演。 |
1991年 |
11月3日、第1回古関裕爾記念音楽祭(福島市公会堂)において「ぼく達はこの星で出会った」で金賞受賞。 |
1992年 |
1月9日〜11日、「あの歌この歌・夢で逢いましょう」(シアターコクーン)で3日間オリジナル曲のみのコンサートを公演。 |
1992年6月9日、心不全にて逝去、享年62歳。 |