ボニージャックス特集




プロフィール
昭和33年(1958年)3月、早稲田大学グリークラブのメンバー4人が、卒業の記念にとラジオ東京(現TBS)の「青春ジャズ大学」なる番組に出演。審査委員長だった笈田敏夫氏にプロにならないかと勧められる。4人は半年余り合宿し、その年の暮れクリスマスイヴに「ボニージャックス」と名乗りデビューする。
折しも、NHKに次いで民放ラジオ各社もテレビ局となり、テレビ草創期、結構忙しく、初見がきくと重宝がられコマーシャルソング等はかぞえきれない。
1961年フジテレビの「歌うおもちゃ箱」のレギュラーとなり、子供の歌のボニージャックスの定評を得る。翌1962年「小さい秋見つけた」でレコード大賞童謡賞を受ける。1970年にはNHKの「歌は友だち」のレギュラーとなる。少し前に始まったNHKみんなのうたに「ちいさいあきみつけた」「手のひらを太陽に」をはじめ数多く出演、歴代の最多出演記録を誇っている。
1969年から1980年にかけて4回ロシア(当時ソヴィエト)へ演奏旅行。その後中国へ三度、ハワイ・サンフランシスコ等でも演奏会。発足当時からアマチュア合唱団との触れ合いを大事にしており、全国各地でのコンサートでは地元の合唱団と共演するのが通例となっている。
トップテナー西脇久夫 ・ セカンドテナー大町正人・バリトン鹿島武臣・バス玉田元康のメンバーで歌って来たが、セカンドテナーの大町正人が体を壊して離脱、平成15年に吉田秀行が加入する。他のメンバーよりおおよそ三十才若い吉田、音域が広くテナーからバリトンまでユーティリティープレイヤーとして頑張っている。
レパートリーは童謡・抒情歌・各国の民謡・歌曲・ジャズその他ジャンルを問わない。歌唱・編曲は明快、ボニージャックストーンと呼ばれ親しまれている。2021年8月トップテナーの西脇久夫が肺癌で死去。ダークダックス・デュークエイセスが幕を下ろした今、ボニージャックスは三人でまだシツコクうたっている。
(ボニージャックス・玉田元康)
No. | 曲名 | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
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1 | 青い山脈 | 西条八十 | 服部良一 | 服部克久 |
♪ 若く明るい 歌声に 雪崩(なだれ)は消える 花も咲く | ||||
2 | 憧れのハワイ航路 | 石本美由起 | 江口夜詩 | 小野崎孝輔 |
♪ 晴れた空 そよぐ風 港出船の ドラの音(ね)愉(たの)し | ||||
3 | 銀座カンカン娘 | 佐伯孝夫 | 服部良一 | 服部克久 |
♪ あの娘可愛や カンカン娘 赤いブラウス サンダルはいて | ||||
4 | 新雪 | 佐伯孝夫 | 佐々木俊一 | 小六禮次郎 |
♪ 紫けむる 新雪の 峰ふり仰ぐ このこころ | ||||
5 | 小さな喫茶店 | E・ノイバッハ/青木爽(訳詞) | R・レイモンド | 若松正司 |
♪ それは去年のことだった 星のきれいな宵だった 二人で歩いた思い出の小径だよ | ||||
6 | 東京の花売娘 | 門田ゆたか | 上原げんと | 小野崎孝輔 |
♪ 青い芽を吹く 柳の辻に 花を召しませ 召しませ花を | ||||
7 | 東京の屋根の下 | 佐伯孝夫 | 服部良一 | 服部克久 |
♪ 東京の 屋根の下に住む 若い僕等は 幸福者 | ||||
8 | 長崎の鐘 | サトウハチロー | 古関裕而 | 若松正司 |
♪ こよなく晴れた 青空を 悲しと思う せつなさよ | ||||
9 | 水色のワルツ | 藤浦洸 | 髙木東六 | 若松正司 |
♪ 君に逢ううれしさの 胸にふかく 水色のハンカチを ひそめる習慣(ならわし)が | ||||
10 | 山寺の和尚さん | 久保田宵二 | 服部良一 | |
♪ 山寺の 和尚さんが 鞠は蹴りたし 鞠はなし |