日本音楽への招待 野川美穂子 音楽専門館 アルテスパブリッシング

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第5回 能楽

 能と狂言を含めて、「能楽(のうがく)」という。どちらも、専用の能舞台で上演される芸能である。仮面劇、歌舞劇としての印象が強い能と、滑稽な科白(せりふ)劇として親しまれている狂言は、別物のように感じられるかもしれない。能には能の専門家と演目があり、狂言には狂言の専門家と演目がある。しかし、能と狂言は、歴史的には同じ根に発し、密接に関連しながら発展してきた。能楽と総称されるゆえんである。

能楽の歴史

 「能楽」は明治以降に普及した言葉で、江戸時代までは「猿楽(さるがく)」のほうが一般的であり、「申楽」という字もあてられていた。

①散楽から猿楽へ

 能楽の源流は、唐時代の中国の宮廷で楽しまれた「散楽(さんがく)」である。散楽は、舞楽と同様、奈良時代に伝来した芸能で、国の行事にも演じられていた。たとえば、天平勝宝4年(752)の東大寺大仏開眼供養のさいにも上演されている。正倉院所蔵の弾弓(だんきゅう)に描かれた墨絵や『信西古楽図(しんぜいこがくず)』によれば、楽器をもちいた歌舞、曲芸、軽業、奇術、物真似など、じつに雑多な芸能であったらしい(写真1)。当初の散楽の専門家は、「散楽戸(さんがくこ)」という国家機関で養成されていた。しかし、天応2年(782)に散楽戸が廃止されると、朝廷との結びつきがしだいに薄れ、かわって、寺社の保護をうけるようになった。散楽は寺社の祭礼の余興として演じられ、あるいは街頭で披露され、庶民に広く浸透していった。こうした動きのなかで、散楽の発音は「さるがく」「さるがう」となり、「猿楽」の字があてられた。内容も変化し、平安時代末には、物真似、秀句(言葉遊び)、寸劇などの滑稽芸が主流となった。その滑稽な芸風を発展させたのが狂言である。
 いっぽう、寺院の保護をうけた猿楽者のなかには、「呪師猿楽(しゅしさるがく)」や「翁猿楽(おきなさるがく)」とよばれる芸能をおこなう者もいた。呪師とは、春迎えの法要において、寺院の内部に悪魔がはいりこまないよう、走りまわり、大声でとなえ、激しい修法をみせる役目である。ほんらいは僧侶がおこなうが、人目をひく娯楽性が人々の関心をよび、僧侶にかわって、芸能のプロである猿楽者がおこなうようにもなった。これを呪師猿楽という。呪師猿楽そのものは、じきに人気を失うが、呪師と関連する翁猿楽は、現在の《式三番(しきさんばん)》に継承されている。《式三番》は数ある能楽の演目中でも別格に扱われる神聖な演目で、能楽の古態を残すといわれている。老体の神である翁(おきな)と三番叟(さんばそう)が登場し、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って祝福の歌舞を披露する。
 鎌倉時代になると、猿楽者たちは、大きな寺社を後ろ盾に「座」を結成した。翁猿楽を本芸とし、滑稽な科白劇、歌舞劇を演じる芸能集団である。歌舞劇の発展には、田楽や延年(えんねん)の影響があった。田楽は、日本古来の芸能をうけつぐ芸能で、豊作を祈願する。延年は、寺院の法要のあとに、余興として僧侶や稚児(ちご)が演じたもので、白拍子(しらびょうし)、風流(ふりゅう)、田楽躍(でんがくおどり)などのさまざまな芸能があった。そうした諸芸能の影響をうけた歌舞劇は、徐々に猿楽者の演目の中心を占めるようになり、能へと発展していった。

【図1】正倉院所蔵「弾弓」の墨絵の一部。散楽図と考えられている。お手玉の曲芸をする人、笛や太鼓などの楽器を演奏する人を描いている。

②観阿弥と世阿弥

 南北朝から室町時代初期には、観阿弥(かんあみ)(1333-1384)と世阿弥(ぜあみ)(1363?-1443?)の親子が現れて活躍した。奈良・興福寺が支配する大和猿楽(やまとさるがく)の結崎座(ゆうざきざ)に所属するふたりは、曲舞(くせまい)や田楽(でんがく)などの芸能をとりいれながら、歌舞劇としての能を洗練させていく。ふたりの才能を高く評価した室町幕府3代将軍・足利義満が、その活躍をあと押しした。世阿弥自身の晩年は、義満の息子の義教(よしのり)に嫌われたことから、佐渡に流されて不遇であったと伝えられる。しかし、観阿弥と世阿弥が大成させた能は、その後も多くの政治の権力者に愛された。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康……。とくに秀吉は、ひんぱんに能の会を催し、みずからが舞台で演じるための作品をいくつも作らせたと伝えられている。身分は低いが芸にたけた者と政治の権力者の結びつき、これが能という花を大きく開かせた。

③式楽をへて世界無形遺産に

 能は、武士のたしなむべき教養として定着し、江戸時代には、幕府や大名家の儀式の音楽、すなわち「式楽」となった。たとえば、徳川綱吉が将軍に就任した延宝8年(1680)には、9月18日より祝賀の饗宴が催され、3日間にわたって猿楽が上演された。裃(かみしも)に身をつつんだ家臣のみならず、町人の観覧も許されたと記録に残る。それだけに、明治維新による武家社会の崩壊は能楽に大きな打撃をあたえた。江戸幕府からの禄(ろく)を失った猿楽者の一部は廃業に追いこまれてしまうのである。しかし、華族や財閥の支援を得て、能楽はみごとに再起した。平成13年(2001)、能楽は、ユネスコの第1回「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」(世界無形遺産)に指定された。武家を中心に愛好されていた能楽は、現在、誰でもが楽しめる芸能となっている。全国各地で上演され、公立の能舞台もふえつつある。薪能(たきぎのう)にいたっては、ブームといってよい状況といえよう。

能楽の特徴

 能楽の特徴を、能、狂言、《式三番》に分けて紹介しよう。

①能

 能のなにがおもしろいのか。これは、人によって違うだろう。いっけん無表情にもみえる能面が、役者の演技によって、いくつもの表情をみせる不思議。絢爛豪華な唐織(からおり)の能装束。極端なまでに抽象化された作り物(舞台装置)。視覚にうったえるものは数多い。

【写真】能面(国立能楽堂所蔵)。左は「小面(こおもて)」で、若い純真な女性の役に使う。右は「般若(はんにゃ)」で、嫉妬による怒りや悲しみで鬼と化した女性の役に使う。

[能の諸役]

 ひとつの能を上演するためには、「立方(たちかた)」「地謡(じうたい)」「囃子方(はやしかた)」の協力が必要である。物語の登場人物にふんする立方には、主人公であるシテ、その相手役であるワキ、シテの従者的な存在のツレ、狂言役者がつとめるアイなどがある。地謡は通常8人で、舞台の右端にすわり、集団で声を発する。第三者として物語を説明し、登場人物の心情を代弁する。囃子方は、能管(たんに「笛」ともいう)、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、太鼓(たいこ)の4種類の楽器を奏する。この4つは「四拍子(しびょうし)」とよばれ、それぞれの担当者はひとりである。太鼓は、神や物の精、鬼畜などの非人間が登場する場面に使い、太鼓を使う演目(「太鼓物」)と使わない演目(「大小物」)がある。ツクツクツクと太鼓の刻みが聞こえてくると、舞台が独特の緊張感につつまれる。
 能の諸役には、それぞれに複数の流儀がある。たとえば、シテや地謡を担当するシテ方の流儀には、観世流(かんぜりゅう)、宝生流(ほうしょうりゅう)、金春流(こんぱるりゅう)、金剛流(こんごうりゅう)、喜多流(きたりゅう)の5流がある。このうち喜多流は江戸時代に成立し、他の4流は、前述の大和猿楽の流れをひく。狂言方の流儀には、大蔵流(おおくらりゅう)と和泉流(いずみりゅう)の2流がある。囃子のそれぞれの楽器にも、同様に複数の流儀がある。能楽にたずさわる者は、ひとりひとりが、どれかひとつの流儀に属し、専門家としての芸をきわめていく。

[能の物語]

 能は物語の宝庫である。近世の芸能にも多くの題材を提供している。能の物語は、その内容によって「現在能」と「夢幻能(むげんのう)」に分けられる。現在能は、現実に生きる登場人物によって、現実の時間にそって展開する。これに対して夢幻能では、無念のまま戦没した武将、子供や恋人への執着を残しながら亡くなった女性など、さまざまな霊が登場する。全体の展開は、物語の前半(前場)では、旅の僧(ワキ)が登場し、土地の者(前シテ)から、その土地の故事を聞く。土地の者は、自分が霊であることをほのめかして消える。後半(後場)では、ほんらいの姿を現した霊(後シテ)が、舞をみせ、あるいは暴挙をはたらき、それぞれの思いを放出する。この後半の物語が旅の僧の夢であったという設定になることが多い。悲しさ、はかなさ、喜び、怒り、いろいろな思いが交錯する物語である。

[能の音楽]

 能の音楽は、謡(うたい)と囃子からなる。
 謡をうたうのは立方と地謡で、その様式はコトバとフシに分けられる。コトバには旋律がない。日常的な会話とはちがう、能独特の抑揚とリズムで進行する。フシには旋律がつくが、ちょっと耳をそばだてると、音高の変化を聴きとりやすい部分と聴きとりにくい部分があることに気づく。前者は「ヨワ吟」という息扱いの部分で、ここでは、ナビキとよばれる一種のヴィブラートが均質になめらかにつけられている。後者は「ツヨ吟」という息扱いの部分で、ここでのナビキは不規則で、ときに激しい。
 謡のリズムには、自由リズムで進行する「拍子不合(ひょうしあわず)」と拍節にしたがって進行する「拍子合(ひょうしあい)」がある。コトバはすべて拍子不合。フシには拍子合と拍子不合の両部分がある。拍子合の拍節の基本は8拍を単位とし、この単位を「八拍子(やつびょうし)」という。拍子合のリズムには型があり、文字の配分によって、大(おお)ノリ、中(ちゅう)ノリ、平(ひら)ノリの3種がある。もっとも多いのが平ノリで、七五調による12文字の詞章を、決められたリズムで8拍に配分する。「謡の詞章は聴きとりにくい。わかりにくい」という声もあろう。たしかにそうした面は否めないのだが、多様なリズム、ヨワ吟とツヨ吟の変化に彩られた声楽部分の妙は、日本音楽中でも屈指であるといってよい。
 いっぽう、囃子の打楽器群は、特定のリズム型を組み合わせながら繰り返す。このリズム型は「手組(てぐみ)」とよばれていて、楽器が発する打音と掛け声を一定の順序に配列したものである。「ヨーッ」「ホーッ」という掛け声は、ときに迫力に満ちた力強い声、ときに静寂にすいこまれる押し殺した声で、舞台の空気を支配する。勝手気ままに発せられているわけではないのだ。「八拍子」すなわち8拍を基本とする手組が多く、小鼓には約170種、大鼓には約200種、太鼓には約100種がある。
 打楽器の手組と同様に、能管にも決まった旋律型がある。謡のある部分では、自由リズムの旋律型を、ところどころ、あしらって吹く。能管と謡の音高には関係がない。謡のない部分では、拍節的な旋律型を吹くことが多い。なんども注意して聴いていれば、「オヒャーラーイホウホウヒー」「オヒャーヒューイヒョーイウリー」など、聴きおぼえのある旋律がたびたび出てくることに気づくだろう。
 このように、謡と囃子には、それぞれに型がある。しかも、実際の上演では、型に即興的な変化をくわえる。まさに一期一会。いくつものきわめられた芸が、ひとつの空間と時間のなかで出会うのだ。
 能の上演は、舞台上になにもない状態から始まる。観客が見守るなかで、作り物が運ばれ、地謡と囃子方が決められた位置につき、立方の演技によって物語の世界が創られる。そして、最後にはまた、なにもない状態にもどる。静寂で始まり静寂で終わる張りつめた時間の推移。物語の世界と観客との出会いでもある。
 たしかに、能の世界とわれわれが生きる現在にはズレがあり、古文による詞章を理解するのはむずかしいかもしれない。能を見にいったはずが解説と首っ引きというのでは感心しないが、あらかじめ物語を一読しておいたほうが楽しめるだろう。なんども能を見るうちに、自分なりの発見があるにちがいない。能が描きだす人間の真髄は、時代を超えて、心にせまってくるはずだ。

【図2】狩野栄信筆『宮中能楽図』(国立能楽堂所蔵)。舞台後方の壁面を「鏡板(かがみいた)」といい、松が描かれている。舞台は、4本の柱に囲まれた本舞台と廊下のような橋掛り(はしがかり)で構成されている。地謡は本舞台の右側、囃子方は本舞台の後方にすわる。現在は能舞台の前方と左側に観客席が作られているが、かつては、この図のように、観客は別棟から能を見た。

②狂言

 狂言はセリフを中心とし、能とはひと味異なる運びで進行する。「これは、この辺りに住まい致す者でござる」というように、よく響く明快な声ではじまる。2文字目を張って発音し、たとえば「この辺り」の「の」を高く発音する。「ハッハー」「サテモサテモ」など、繰り返しが多い。「ガラガラ」「ズカズカ」というように、みずからの動作にあわせて擬声語を発する。「やるまいぞ、やるまいぞ」などと言いながら、足ばやに幕内に消える。独特の抑揚と発声が印象的である。
 狂言というと笑いばかりと思いがちであるが、ひとりで物語を語り聞かせる「語り」の技法もある。《那須与一》がその例で、『平家物語』の那須与一の物語を、セリフ、ナレーションともに臨場感豊かに語っていく。
 狂言には、音楽や舞踊も生かされている。能のように物語の進行を音楽的に表現することもあるが、多くは劇中の一場面として歌舞が使われる。たとえば《棒縛(ぼうしばり)》では、後ろ手にしばられた太郎冠者(たろうかじゃ)と棒にくくりつけられた次郎冠者(じろうかじゃ)が、主人の留守中に協力して酒を盗み飲み、酔い浮かれて歌い舞う。そうした場面で使われる「小謡(こうたい)」(歌)には、中世以来の庶民が親しんだ流行歌が活用されている。
 演目によっては、囃子が使われることもある。能とくらべると簡略化されているが、役者の動きをもりあげる効果は聴きのがせない。
 狂言の滑稽さは、たんなる笑いではない。誰もがもっている人間らしい心の弱さを、ユーモラスに描きだしているのだ。

《式三番》

 《式三番》は「能にして能にあらず」と評され、能とも狂言とも異なる様式をもつ。正月や能楽堂の落成式など、祝賀のおりに上演され、儀式的な色彩が濃い。《式三番》という名は、ほんらいの構成が「父尉(ちちのじょう)」「翁」「三番猿楽(さんばんさるがく)」であったことに由来する。現在は、「父尉」がなくなり、翁が登場する部分と三番叟が登場する部分という、大きくは2部の構成になっている。まぎらわしいことに、三番叟が登場する部分も含む《式三番》全体を「翁」とよぶことが多い。
 登場人物は千歳(せんざい)、翁、三番叟の3人。若者役の千歳は直面(ひためん)。直面とは、面をつけないことをいう。老人の翁は白式尉(はくしきじょう)、三番叟は黒式尉(こくしきじょう)の面である。通常の能面とは表情が異なり、顎(あご)が顔の上部から切り離されていてブラブラと動く。翁役は能のシテ方、三番叟役は狂言方がつとめる。千歳役は、シテ方が演じる場合と狂言方が演じる場合がある。
 《式三番》の特徴のひとつは、役者が舞台上で面をつけること。御輿(みこし)のように面箱(めんばこ)を舞台上に運び、箱から面をとりだす様子は、見ている観客をも厳粛な気持ちにさせる。まさに儀式である。そもそも、《式三番》の儀式性は、上演日にいたる前から始まっている。最近は一部の省略もあると聞くが、《式三番》に出演する各役者は、一定期間、煮炊きの火を家族と別にして潔斎する。上演にさきだっては、面を入れた面箱を祭壇にすえ、神酒や洗米をそなえる。身を浄めた役者が舞台上で神聖な面をつけるそのとき、祝福をもたらす神となるのだ。
 全体をとおして、とくに物語はない。冒頭の「とうとうたらりたらりら」という呪文のような詞章が有名で、謡はすべて無拍である。楽器編成も能とは異なる。千歳と翁が登場する前半の囃子は、能管1人と小鼓3人。三番叟が登場する後半の囃子は、さらに大鼓1人が加わる。《式三番》独自の特別のリズム型が繰り返される。
 《式三番》を見る機会はそう多くないが、いちど見れば、印象に強く残る演目である。

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コラム

音楽と物語

 『源氏物語』は、音楽が登場する物語として有名である。光源氏と頭中将(とうのちゅうじょう)が《青海波(せいがいは)》を舞う「紅葉賀(もみじのが)」巻、北山の桜の下での管弦の遊びを描く「若紫(わかむらさき)」巻など、音楽が登場する場面は200カ所以上ある。この『源氏物語』より前に記され、日本初の長編物語とされる『うつほ物語』は、遣唐使を命じられた藤原俊蔭(ふじわらのとしかげ)が、難破と流浪のすえに琴(きん)の名器と秘曲を持ちかえり、その伝授をめぐって展開する物語である。貴族の生活に密着した音楽のありようが物語になっている。
 この『うつほ物語』には、競いあって琴を弾いていると天女が舞い降りてくる場面もある。音楽が不思議な力をもつという発想は、神の託宣をもとめてコトを奏でる、『日本書紀』や『古事記』の記述に通じる。琵琶(びわ)、琴、箏(そう)、笛など、楽器の音によって天人や霊が降りる物語や説話は、『狭衣物語(さごろもものがたり)』『今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)』『江談抄(ごうだんしょう)』『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』『十訓抄(じっくんしょう)』など、さまざまに紹介されている。
 このように生活に密着すると同時に、不思議な力をもつと考えられていた音楽の存在は、能をはじめ、日本音楽のいろいろな作品の題材になってきた。楽器を中心に展開する能の作品をあげてみれば、まずは《天鼓(てんこ)》。天から降ってきた鼓と天鼓という名前の子供の霊の物語である。琵琶が登場する作品は比較的多く、《絃上(玄象)(げんじょう)》《経政(つねまさ)》《蝉丸(せみまる)》《千手(せんじゅ)》など。《絃上》では、琵琶の名手・藤原師長(もろなが)のもとに村上天皇の霊が現れ、琵琶の名器「獅子丸」を与えて舞をまう。《経政》では、琵琶の名器「青山(せいざん)」を仏前に供えて管弦講(音楽を演奏して弔う仏事)を催していると、平家の武将であり琵琶の名手でもあった経政の霊が現れ、琵琶を奏でて舞をまう。《蝉丸》では、藁屋(わらや)から聞こえる琵琶の音に導かれて、盲目ゆえに捨てられた蝉丸と姉が再会する。いずれも、琵琶をイメージした能管の音が効果的に奏でられ、《絃上》では作り物の琵琶(演出によっては琵琶の実物)が登場する。《千手》《小督(こごう)》の箏、《梅枝(うめがえ)》《富士太鼓》の太鼓、《敦盛(あつもり)》《清経(きよつね)》の笛などの例では、楽器が物語の展開に大きな役割をはたしている。《千手》《小督》は、『平家物語』に登場する女性をモデルにした能であるが、『平家物語』にも音楽場面は数多い。
 近世になると物語に三味線が登場するようになり、とくに遊女と三味線は切り離せない。文楽や歌舞伎で上演される《壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)》では、平家の武将・景清(かげきよ)の居所を白状させるために、恋人の遊女・阿古屋(あこや)が箏、三味線、胡弓の演奏を命じられる。歌舞伎では、阿古屋を演じる女形が楽器を実演する見せ場として有名だ。

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野川美穂子(のがわ・みほこ)

東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程修了。お茶の水女子大学大学院人間文化研究科にて博士号取得(人文科学博士)。東京藝術大学、東海大学、法政大学、武蔵野音楽大学、国立音楽大学、桐朋学園芸術短期大学などにて、日本音楽史や芸能論の授業を担当。
著書に『地歌における曲種の生成』(第一書房)。共著に『日本の音の文化』(第一書房、1994)『軍記語りと芸能』(汲古書院、2000)、『日本の楽器──新しい楽器学に向けて』(出版芸術社、2003)、『和楽器の魅力』(NHKソフトウェア、2003)、『日本の伝統芸能講座 音楽』(淡交社、2008)など。2001年に(財)清栄会奨励賞、2006年に第23回志田延義賞(日本歌謡学会)を受賞。

つづく