

雅楽(ががく)には、「雅(みやび)な音楽」という字のとおり、庶民の音楽というよりも、上品で高尚で正統な音楽というイメージがある。その歴史は古代にさかのぼり、ながらく、天皇を中心とする貴族社会を中心に楽しまれてきた。しかし、昨今はといえば、目をみはるばかりの雅楽ブームである。笙(しょう)や篳篥(ひちりき)の音がテレビ・コマーシャルに使われ、大ホールでの雅楽演奏会が満席になり、カルチャーセンターの雅楽教室の人気は高い。千数百年を超える音楽へのロマン、楽器が奏でる豊かな音色、舞人(まいにん)の優雅な動きと美しい装束、さまざまな魅力が多くの人を惹きつけている。
昭和30年(1955)、雅楽は国の重要無形文化財に認定された。その雅楽を公的に伝承する機関が、宮内庁式部職楽部(しきぶしょくがくぶ)である。楽部のみなもとは、大宝元年(701)の大宝令が制定した「雅楽寮(ががくりょう/うたまいのつかさ)」にまでさかのぼり、部員には、平安時代以来、京都、奈良、大阪(四天王寺)などの地で雅楽を代々受け継いできた楽家(がっけ)の出身者が多い。重要無形文化財保持者であり、国家公務員でもある部員は、皇室の祭典や園遊会のほか、一般人を対象に皇居内で催す春季・秋季の雅楽演奏会、国立劇場主催の演奏会などでも、演奏もおこなっている。
いっぽうで、熱田神宮、伊勢神宮、厳島神社、石清水八幡宮、春日大社、上賀茂神社、下鴨神社、四天王寺など、社寺の祭礼でも、民間の雅楽団体が奉仕する雅楽を聴くことができる。その演奏には、屋外ならではのおおらかさや躍動感がある。定期演奏会を催す雅楽団体、個人の演奏家の活躍もめざましく、雅楽はより身近になった。
雅楽は、大きく、①国風歌舞(くにぶりのうたまい)、②外来楽舞、③平安時代の新作歌曲に分けられる。
国風歌舞は、記紀などに記された歌舞と関連し、外来楽舞が伝えられる以前の日本の文化につながる。国風歌舞の多くに和琴(わごん)が奏される点は、和琴につながる弥生時代・古墳時代の出土コトが歌舞に用いられた可能性をうかがわせ、興味深い。国風歌舞は、天皇即位の式典、皇霊祭(春分の日、秋分の日)、神武天皇祭(4月3日)、鎮魂祭(11月22日)、御神楽儀(12月15日)など、皇室の特別な祭典で演奏され、神への捧げものとしての性格が強い。御神楽(みかぐら)、東遊(あずまあそび)、大直日歌(おおなおびのうた)・倭歌(やまとうた)、大歌(おおうた)、久米歌(くめうた)、誄歌(るいか)などの曲が伝えられている。
いずれも、笏拍子(しゃくびょうし)を打ち合わせながらの、のびやかな歌に特徴があり、天皇の葬儀に用いる誄歌を除いて、舞をともなう。悠久のときをへた日本古来の歌舞といった趣にあふれるが、室町時代に絶え、江戸時代に復興された歴史をもつので、上代・古代のそのままではない。
代表的なものを紹介してみれば、御神楽は、宮中賢所(かしこどころ)の前で、庭燎(にわび)をたき、6時間ほどかけておこなわれ、もっとも神事性が強い。一般の神社の里神楽(さとかぐら)とは別ものである。東遊は、駿河舞(するがまい)と求子舞(もとめごのまい)を中心とする構成で、清少納言や紫式部などの平安女性が好んだと伝えられている。大歌で舞われる五節舞(ごせちのまい)は、雅楽では唯一の女舞。十二単(じゅうにひとえ)を身につけて舞う。
国風歌舞は非公開を原則とするが、最近は、演奏会で披露し、映像化も進むなど、情報公開ともいうべき状況になってきた。宮中のものとはじゃっかん異なるが、東遊を見る機会に、京都の葵祭や奈良の若宮おん祭りもある。
5世紀半ばから9世紀にかけて、朝鮮半島、中国、チベット、ヴェトナム、インドなど、ユーラシア大陸の各地から、音楽と舞踊が日本に渡来した。そうした外来楽舞が、現在の雅楽の中心をなしている。
大陸からの楽舞の伝来は、弥生時代の地層から出土した
(けん)の例にみるように、古くからあったにちがいない。しかし、文献上は、453年に崩御した允恭(いんぎょう)天皇の葬儀に、新羅(しらぎ)の楽人(がくにん)がやってきたという記述を初出とする(『日本書紀』)。対馬から京都に至るまでの道々、楽人たちは泣きながら歌い舞ったと記されている。その後7世紀までに、朝鮮半島の百済(くだら)、新羅、高句麗(こうくり)(高麗(こうらい))より、「三国楽(さんごくがく)」とよばれる楽舞が伝えられた。この三国楽が、現在の高麗楽(こまがく)の源流である。同じころに、無言の仮面音楽劇である伎楽(ぎがく)も伝来した。伎楽はのちにすたれてしまったが、正倉院、東大寺、法隆寺などに残る多くの伎楽面が、往時の流行をものがたっている。
これら朝鮮半島系楽舞の伝来ののちに、中国の唐楽(とうがく)が伝来した。記録上は、大宝2年(702)の演奏記録が古い(『続日本記』)。中国の音楽には、宗廟(そうびょう)で演奏する儒教の祭祀楽(さいしがく)をはじめ、いろいろな種類があった(註:中国でのほんらいの「雅楽」は、儒教の祭祀楽)。日本に定着したのは、宮廷の饗宴に用いられた楽舞である。奈良時代には、中国東北部の渤海楽(ぼっかいがく)、現在のヴェトナム中部の林邑楽(りんゆうがく)、由来不明の度羅楽(とらがく)も伝えられた。天平勝宝4年(752)におこなわれた東大寺大仏開眼供養(かいげんくよう)では、10年近い年月と労力をついやした大仏の完成を祝って、声明(しょうみょう)(仏教の声楽曲)、国風歌舞とともに、そうした外来楽舞が奏された。大陸文化の異国情緒、響き、色彩に心躍らせた当時の人びとの様子が目にうかぶ。
さまざまに伝来した楽舞は、そののち、仁明天皇の在位期(833~850)を中心とする9世紀の平安時代に、後述する「右方(うほう)」と「左方(さほう)」に二分され、楽器編成の整理、改作や新作もおこなわれて、日本独自の様式に作り変えられていった。
外来楽舞は、上演形態により、「舞楽(ぶがく)」と「管弦(かんげん)」に分けられる。舞楽は、器楽曲を伴奏に舞を披露するもので、舞人の数、装束、面などが、演目ごとに決められている。いっぽう管弦は、器楽合奏のみで舞はない。楽器編成は次のとおりである。
まず舞楽から、紹介してみよう。現在の舞楽は左方と右方に二分され、左方の伴奏には唐楽、右方の伴奏には高麗楽が用いられる。それぞれ、視覚的にも聴覚的にも特徴がことなる。
たとえば、左方には笙を使い、右方には使わない。そのため、「合竹(あいたけ)」とよばれる笙の和音が終始鳴り響く左方と、ふっと無音になる右方では、かなり印象が違う。曲の構成にも違いがある。舞楽の場合、複数曲を組み合わせてひとつの演目とするが、左方の構成は、〈前奏曲〉、〈舞人の登場のための曲〉、〈当曲〉(その演目の中心曲)、〈舞人の退場のための曲〉の4部に分けられる。いっぽう、多くの右方では、舞人の登場や退場のために、専用の曲を奏しない。音楽なしで舞人が退場することもある。
視覚的な違いは、楽人や舞人の装束がわかりやすい。多くの場合、左方の装束は赤色系統で、右方の装束は緑色系統である。また、左方の大太鼓(だだいこ)には、鼓面に三巴(みつどもえ)が描かれ、周囲には龍の彫刻の飾り、上部には金色の日輪がある。それにたいして、右方の大太鼓には、鼓面に二巴(ふたつどもえ)、周囲には鳳凰(ほうおう)の飾り、上部には銀色の月輪がある。舞台に向かって左側にあるのが左方の大太鼓と大鉦鼓、右側にあるのが右方の大太鼓と大鉦鼓。色彩のみならず、空間的にも対比されている。万物は陰と陽の2つの気から生成するという東洋的な思想・世界観を反映しているのである。
もちろん舞の動きにも左方と右方の違いがあり、左方は旋律にあわせ、右方は打楽器のリズム・パターンにあわせて舞う。
頭上に龍をのせた奇怪な面をつけ、馬上の武将のイメージで勇壮に舞う左方の《陵王(りょうおう)》、牙をむいた恐ろしい面をつけ、雌雄の龍のイメージで2人が舞う右方の《納曽利(なそり)》などが有名である。この2曲は番舞(つがいまい)とよばれ、舞楽のプログラムでは同時に演奏される慣習がある。
いっぽう、管弦は、外来楽舞に親しんだ平安貴族が、音楽のみでも楽しむようになったことから生まれた。管弦は、天皇や貴人が主催した御遊(ぎょゆう)のなかでおこなわれ、詩歌とともに貴族がたしなむべき教養であった。『源氏物語』などの平安朝の文学や絵巻には、音楽を生活の一部とした貴族の姿を容易に見つけることができる。管弦では、迫力ある舞楽とは違う、ゆったりとした柔らかい音の世界が広がる。主旋律を奏でる篳篥と竜笛(りゅうてき)、和音を吹く笙に加えて、箏(そう)と琵琶(びわ)が用いられる。鞨鼓(かっこ)は全体をリードし、太鼓と鉦鼓は舞楽で使うものより小さい。代表曲は《越殿楽(えてんらく)》(「越天楽」とも書く)。その親しみやすい旋律は、のちに民謡の《黒田節》に取り入れられた。
三重県立博物館所蔵『舞楽図巻』(江戸時代)に描かれた舞楽。右は、舞楽の会の最初に演じる《振鉾(えんぶ)》。赤の鳥甲(とりかぶと)の左方の舞人と緑の鳥甲の右方の舞人が登場し、鉾(ほこ)を振って舞台をきよめる。左は、『源氏物語』「紅葉賀(もみじのが)」で、光源氏と頭中将(とうのちゅうじょう)の2人が舞ったことで知られる左方舞楽の《青海波(せいがいは)》。
平安時代に新作された歌曲には、「催馬楽(さいばら)」と「朗詠(ろうえい)」がある。催馬楽の歌詞は、「や」「はれ」などの囃子詞を含み、地方から集めた民謡をもとに作られた。いっぽう朗詠は、中国や日本の漢詩文を歌詞とする。どちらも音楽的には、外来楽舞の様式による。御遊などの場で、貴族が歌い楽しんだ歌曲である。多くの曲があったが、次第にすたれてゆき、現行曲は少ない。催馬楽は室町時代に一時絶え、江戸時代に復曲された。《安名尊(あなとう)》《伊勢海(いせのうみ)》などの6曲のみが現行する。朗詠には《嘉辰(かしん)》《紅葉(こうよう)》などの14曲が伝えられている。催馬楽の旋律は拍節的リズムで、朗詠の旋律は自由リズムである。それぞれの伴奏楽器はことなるが、ながながと歌詞をひきのばし、おおらかに歌いあげる。
外来の文化と日本の文化を融合し、千数百年の時をへて伝えてきた雅楽。かつては現在よりもテンポが速かったと推測され、旋律も昔のままではない。しかし、その多彩な響きや美しい動きがかもし出す不思議な魅力は変わらない。


今回ご紹介した図版(『舞楽図巻』)に描かれている舞楽《振鉾》と《青海波》が、下記のように、国立劇場で上演されます。舞楽《青海波》の本格的な上演は、なんと明治19年以来、120年ぶりの公演。
ご興味のある方は、ぜひお出かけください。
| 公演日 | 2009年2月11日(水) 午後2時~3時50分 |
| 場所 | 国立劇場大劇場 |
| 出演 | 宮内庁式部職楽部 |
| 演目 | 《振鉾》(一節・二節・三節) 《青海波》(管絃舞楽・垣代入) |
| ホームページ | http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2366.html |


時候のあいさつ、季節にあわせた着物の柄選びに象徴されるように、日本人は四季の変化を楽しみ、生活にいかしてきた。
音楽も同様である。声楽曲であれば、その季節にふさわしい歌詞の曲を選んで演奏する。そうした意識は、雅楽にもみられる。雅楽には、双調(そうじょう)(主音はG)、黄鐘調(おうしきちょう)(主音はA)、壱越調(いちこつちょう)(主音はD)、平調(ひょうじょう)(主音はE)、盤渉調(ばんしきちょう)(主音はH)などの調子があるが、これらは順に、木・火・土・金・水の五行、東・南・中央・西・北の方位、春・夏・土用・秋・冬の季節に結びつくものと考えられていた。季節と調子との結びつきを、平安後期の笛の名人・大神基政(おおがのもとまさ)は「時の声(ときのこえ)」とよんでいる。
平安の貴族たちは、季節にふさわしい調子の雅楽曲を演奏し、季節にふさわしい調子に移調して演奏することもあった(註:雅楽の移調は「渡物(わたしもの)」とよばれる)。また東遊では、季節におうじて衣裳をかえ、桜、山吹、菊などをかたどった季節の挿頭花(かざし)を冠につけて歌い舞う。
音楽もまた、季節の移ろいのなかにあるのである。


東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程修了。お茶の水女子大学大学院人間文化研究科にて博士号取得(人文科学博士)。東京藝術大学、東海大学、法政大学、武蔵野音楽大学、国立音楽大学、桐朋学園芸術短期大学などにて、日本音楽史や芸能論の授業を担当。
著書に『地歌における曲種の生成』(第一書房)。共著に『日本の音の文化』(第一書房、1994)『軍記語りと芸能』(汲古書院、2000)、『日本の楽器──新しい楽器学に向けて』(出版芸術社、2003)、『和楽器の魅力』(NHKソフトウェア、2003)、『日本の伝統芸能講座 音楽』(淡交社、2008)など。2001年に(財)清栄会奨励賞、2006年に第23回志田延義賞(日本歌謡学会)を受賞。